唐桟縞(とうざんじま)について(2)

粋な舶来品の上陸に、新しもの好きの江戸っ子が飛びついた。
この唐桟縞が初めて日本に渡ってきたのは、桃山時代と言われています。ですが、一般的には徳川家康の貿易奨励政策がすすめられて以降と考えてよいでしょう。
唐桟は冬の着物として職人、芸人、商人などの間で大変もてはやされていたようです。まず、木綿ですから町人が自由に着れること。さらに、細い糸で打ち込みが固く織られているため、麻状の外観と絹に似たつやと風合いを持っていたこと。しかも、舶来品とあって自慢できた――などの理由で大人気。
特に、気っぷのよい職人たちはすっかりこの唐桟のとりことなっていました。
粋な縞模様と、日本人にはない色感のモダンさは、まさに江戸好み。江戸時代半ば頃から末期にかけて大流行しました。
中でも、インドのベンガル地方から“紅唐桟”がもたらされた文化、文政、天保の頃は全盛時代。江戸の庶民は、男女を問わずこの唐桟の着物で“粋”を競い合っていたようです。
粋と気っぷで、唐桟縞の技術は今も生き続けている――。
つまり、江戸時代に今で言うファッションの大ブームを巻き起こしたというわけです。考えてみれば、今も昔も人の心はそう変わっていないようですね。新しもの好きで、舶来品に飛びついて…われわれもと“粋”や“艶”を競い合うのですから。
しかし、そんな江戸っ子たちの心をがっちりとつかみ、大流行を生み出したのですから、この唐桟縞も大したもの。その独特の光沢や風合い、粋さは当時の人にとって格別のインパクトがあったのでしょう。
もちろんこの頃になると国産品の唐桟(?)も続々と織られるようになりました。川越、青梅、あるいは博多、西陣など織物の産地がこぞってこの縞木綿を手がけるようになります。
こうなると品質の勝負。江戸の末期にはアメリカからの輸入物も入ってきましたが、品質の点で、“アメ唐”などと呼ばれ本格物と区別するほどになりました。輸入物の質をすぐに追い抜く日本人の技術――これも現代に通じる話です。
その後も、近世から今日まで、唐桟縞は脈々と生き続け織られており、特に趣味的な装いに珍重されています。

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