近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(2)

江戸末期から明治初期にかけて活躍した近江商人のルーツは、織田・豊臣時代にまでさかのぼる。
天下統一をめざした織田信長は、商業の振興を図るため、誰でも自由に商売のできる「楽市楽座」を定めた。
近江八幡と五個荘のほぼ中間に位置する安土に築城した信長は、安土城下にも楽市の制を定めたため、各地の商人が集まり、商業が盛んになった。
しかし、本能寺の変で信長が倒れるや、安土の商人たちは、新たに豊臣秀吉が築城した近江八幡に移った。秀次も商業振興に力を注いだため、近江八幡は自由商業都市として大いに栄えた。
しかし、それもつかの間、秀次が秀吉の怒りをかって天正19年(1591年)清洲に移封され、代わって入城した京極高次もわずか5年で大津へ移り、近江八幡は城下町としての機能を失ってしまった。
残された商人たちは、近江八幡だけでは商売にならず、やむなく天秤棒をかついで諸国へ行商に旅立つこととなった。これが、いわゆる「近江商人」の起こりである。

近江麻ちぢみのふる里 近江路を行く(1)

昔の人々は、琵琶湖のことを「近江の海」と呼んだ。モヤのかかった日は対岸が見えず、まるで海を見ているような錯覚におそわれたからだ。
織田信長が天下統一を夢みて城を築いた「安土」は、この豊かな大湖・琵琶湖の湖東地方にある。そして、この湖東地方は、「近江麻ちぢみ」などの特産品を諸国に売り歩いた近江商人発祥の地でもあった。
信長こそ、「近江麻ちぢみ」を諸国に広めた陰の功労者だ。
万葉の時代から我々日本人に親しまれ、あまたの詩歌にうたわれてきた琵琶湖。楽器の琵琶にその形が似ていることから、その名がつけられたという。
この湖では、今も昔と変わらない定置漁法「魞網(とりあみ)」は、琵琶湖が発祥だといわれている。
ホンモロコ・フナをはじめとする魚類、瀬田シジミなどの貝類が、現在も琵琶湖の特産として名高い。中でもフナは、昔の人の生活の知恵から生まれた「鮒ずし」に姿を変えて、最も有名である。
また、琵琶湖の湖東地方は、近江商人の発祥の地でもある。
とくに、近江八幡・五個荘・日野には、現在も白壁と堀を周囲にめぐらし、白亜の土蔵をもつ豪壮な家屋敷が建ち並び、往時の近江商人の財力と暮らしぶりをしのばせる。

駒絽作務衣 夏風(こまろさむえ なつかぜ)

夏着尺として、古くから大店の旦那衆などが好んで求めた“紗”。 夏姿の究極は絽に尽きると言われるように、静かなる秩序に満ちた透間が生み出す、涼を呼ぶ透明感は、まさにため息もの。
昔から廃れずに伝えられて来ているものには、「やはりいいモノはいい」と人々に思わせる、確固たる魅力と力があります。
こちらも、通が好むといわれる“五本絽”を採用した、魅力あふれる一着です。季節に流されるのではなく、逆に季節を遊ぶという感覚で、心の贅沢をお楽しみ下さい。

縦紗作務衣 霧島(たてしゃさむえ きりしま)

衣替え…というとすぐに思い浮かぶのが6月、10月の年二回。
しかしながら、日本は四季の国。
本来ならば年に四回、衣替えがある方が、その季節の趣をより深く味わえるのではないでしょうか。
それはいわば、季節に強いられるのではなく、逆に季節を先取りしながら、装いを堪能するという贅沢…。
“粋”という言葉は、そんな行為から生まれたのかも知れません。
江戸時代から伝わる縦紗技法を取り入れた新作は、その名の通り、縦に流れる織りで全身すっきり。作務衣姿での立ち姿が一段と凛々しく映えます。

駒絽作務衣 嵯峨野・葉山(こまろさむえ さがの・はやま)

「透かしの美学」の究極の贅――。季節を存分に楽しむための絽の誕生。
夏姿の究極は絽に尽きる、と言われるように、目にも風を呼ぶ絽の透明感は、この季節になるとお洒落の達人たちをはじめ、多くの人々に愛されてきました。
その、「透かしの美学」の究極版を創るべつ採用したのが、古来より伝わる「捩子織(もじりおり)」で織られた三本駒絽と呼ばれる生地でした。
夏着尺として、古くから大店の旦那衆などが好んで求めた高級感あふれる生地で仕立てた作務衣をまとえば、「いよっ、粋だね!」の声のひとつも飛んできそう。

透かしの美学の準主役・肌着について

「透かしの美学」を取り上げるにあたって、その美学をさらに活かすポイントをご紹介いたします。
透け感を活かすには“いい肌着を合わせるべし”というのが洒落者の鉄則。「透かし」の粋にて、着る人も見る人も涼を楽しめる紗が初夏からの主役ならば、重ね着にて透かして見える肌着はいわば準主役。
だからこそ、よりいっそうの気遣いとこだわりで選び、袖を通したいものです。
衣装に凝ることはもちろんですが、折りしも汗の季節、素材にも手は抜けないことは言うまでもありません。
お勧めは、夏の素材の代名詞“麻”の肌着です。
本麻ならではの爽快なシャリ感、優れた通気性、そして重ね着した紗を透かして放つ潔いまでの白の清々しさは、この季節ならではの、粋な着こなしの楽しみと言えましょう。

縦紗作務衣 沢緑(たてしゃさむえ さわみどり)

シャリ感と清涼感。周囲の目にも涼を呼ぶ。
縦紗(たてしゃ)と呼ばれる、江戸時代から伝わる技法を採り入れた織りが実に印象的。
縦糸一本毎に経糸に捩れ目を造るという独特のもので、それにより微妙な透かし加減の味わい深い生地を創り上げました。
通常の紗を数段越えた、心地よいそのシャリ感と清涼感は、着る方の満足感に加え、「周囲の目にも涼を呼ぶ」絶品。
季節先取りで袖を通せば、いつにも増して凛と背筋が伸び、行き交う人の熱い視線を、より多く集めること請け合いです。

麻混紗作務衣 侘茶(あさこんしゃさむえ わびちゃ)

紗の透かしを通して、心地よい夏が見えてくる…通好みの彩りを放つ作務衣。
いにしえよりお洒落の達人たちが好んでまとったという紗。暑い夏に重ね着をすることにより、透かし加減で、涼感を演出するという逆転の発想が、今も多くの人を魅了してやみません。
当会が放つこの夏の紗の新作は、通好みの彩りである茶。作務衣ファンなら、ぜひ一着は揃えておきたくなるお洒落度の高さがたまりません。
炎天下、この作務衣をまとって涼しげに歩けば、人々の羨望の視線が集まること間違いなし。
暑さにかまけて、つい衣服も横着になる他の人を尻目に、紗の作務衣でたっぷりと、“お洒落の美学”をご堪能ください。

紗つむぎ作務衣(しゃつむぎさむえ)

ほどよい透かしと、シャリ感のある肌ざわりは、まさに盛夏の一着。
この「紗つむぎ作務衣」は道楽価格ではなく、誰でも手軽に求められる価格とするため、素材は絹にかわり、その光沢が最も絹に近いとされるポリエステルを使用。
それに、紬の特徴を再現するために、太さが一定せずに太細の変化がある糸を使った昔ながらの織り…と徹底して紗紬の風合いを求めています。
そして、名門桐生が本腰を入れただけに仕立て上がった「紗つむぎ作務衣」の出来栄えはびっくりするほど。素材をあかさなければ、昔ながらの紗つむぎだと言う人もいるほどです。
写真のように、いかにも涼しげな透明感。そして、太さが不均一な糸と強い撚りから生じるシャリ感の心地よさは抜群。汗をかいてもサラッとして肌にべとつかない風合いが得られます。
夏の陽射しの中でひときわ映えた、おじいちゃんの紗紬。その風合いが見事に再現されたというわけです。

紗つむぎ作務衣開発秘話(2)

不均一な糸づくりから、織りまで、昔ながらに…
どんな着物だったのだろう?研究心と好奇心が半分ずつ。
あれこれ調べてみた結果、答えをくれたのは、絹織物の産地として有名な桐生(きりゅう)からでした。
紗のような透明感とシャリ感、それに相当な着道楽だったことを考えると、多分それは「紗紬(しゃつむぎ)」であろうとのこと。
この紗紬は、紗という名がついていますが、紗の組織ではなく、極細の駒糸(各々の撚り加減が違う強撚糸)で平織りした織物。
紬(繭を手つむぎした太さが不均一な生糸)が生み出す独特のシャリ感と透明感を持ち、昔から盛夏向きの織物として愛用されていました。
当時でも高級品、現在ではちょっと手が出ないほどの値がつくといいます。
しかし、時の運というのはあるものです。
と申しますのは、ちょうど桐生でもこの紗紬の良さをもっと多くの人にしってもらいたい――と考えていた矢先だと言います。
話はトントン拍子に進み、即、夏の作務衣への導入が決定となりました。