布を刺す。刺子織りの話。(2)

衣服の補強と保温。刺子のはじまりは、なぜか悲しい…。
その昔、木綿は大変貴重な素材でした。特に綿の栽培が出来なかった東北の地においては、百姓農民が木綿を衣服として着用することは藩令によって禁止され、もっぱら麻地を着用していたとされています。
夏はともかく、寒さ厳しい北国の冬を麻の着物で越すのはちょっと無理。そこで衣服の補強と保温を図るために、麻の白糸で布目を一面に刺して塞いだのが刺子のはじまりだったのです。
それがいつの頃だったか、これも定かではありませんが、津軽藩江戸定府の士、比良野貞彦が天明八年に著した「奥民図集」に、
『布を糸にてさまざまの模様を刺すなり。甚見事なり。男女共に着す。多くは紺地に白き糸を以って刺す』
と記してあることから、この時代にはすでに刺子の手法は確立していたと思われます。
農家の娘は、五歳になると針を持たされ、母親と共に毎日のように刺し続けます。やがて嫁に行き、生まれた娘へ…とこの手法は代々継承されていったのです。
身近な自然風土をテーマにした模様は、鮮烈で感動的――
囲炉裏を囲んで黙々と刺し続けるこの“仕事”の中で、娘たちはただ単に実用という目的以外に、飾る歓びを見つけ出します。それが、実に見事な刺子模様を生み出していったのです。
現存する模様を見て見ますと、その発想は身近な自然の風土から生まれているのがよく分かります。猫の目・豆っこ・花・竹・石だたみ…などと独創性豊かに刺されていて、その素朴さとエスプリには感動を覚えるほど。
藍地に白のコントラストは実に端正で、怠惰な飾り立てに飽きた現代人の感覚に鮮烈に訴えるものがあります。

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