布を刺す。刺子織りの話。(3)

色刺しや伊達刺しも現れ、その服飾美に大きな注目が――
明治に入ると木綿の着用が認められ、刺し糸が白い綿糸に変り、模様がさらに鮮やかに映えるようになります。
この頃から、刺子は実用性より服飾美が注目されるようになったのです。そして鉄道の普及が、刺子の役割に終わりを告げました。
しかし、この北国に芽生えた刺子の素朴さや美しさや滅びることなく現代まで伝えられてきました。
それは単なる模様ではなく、それに込められた“生きる歓び”や刺し続ける乙女たちの心の輝きが万人の胸を打つからに他ならないからでしょう。
この刺し手法は北国以外でも古くから見られます。例えば、江戸中期に「鳶、人足、火消しは必ず刺す」と決めがあったとか。
火消し装束などは、いわゆる半纏刺しとしてあまりにも有名。色刺しや伊達刺しの傾向もすでに現れています。
合理的な刺子織の開発と進歩で、その情緒を楽しむ。
衣服の材料が溢れんばかりに豊富な現代。皮肉にも、切ない想いから生まれた刺子模様が大変に注目を集めています。実用性を重視した武道着はともかく、ファッションとして幅広く取り入れられているようです。
合理性の面から、一針ずつの刺し手法ではなく、いわゆる刺子織りの技術も開発されました。
その良否はともかく、現在では手軽にこの刺子の風情が楽しめるようになったのです。
貧しさを見事な知恵で着る歓びに変えた先人たちの心を、受け止めてみたいものです。

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