絹三昧(きぬざんまい)(1)

このところ天然繊維が見直されてきています。中でも、“絹”への注目がとても高いようです。長い歴史を持ち、いつの時代においても別格の扱いを受けてきたこの繊維は、また自然の神秘的とさえ言える営みから生まれるもの。それだけに、合理主義の象徴とも言える化学繊維からは得られぬ精神的な何かに多くの人が気づいた結果といえましょう。そんな“絹”の話を少しの間お聞き下さい。
自然と歴史が創り上げた絹の世界
はるかに遠く、今から五千年もの昔。
人類最古の文明が生まれた頃、中国に伝説的な名君と崇められた黄帝という王がいました。ある日、この黄帝の妃が繭を手にし、誤ってこれを茶湯の中に落としてしまいます。慌てて箸でこれを拾い上げようとしますが、手繰っても手繰っても純白の糸が際限なく箸に巻きついてくるだけでした。
もうお分かりでしょう。これが繭から生まれたいわゆる“絹”の始まりなのです。
なんでも事の始まりはこんなもの。実際にこの妃にしても、その後、この絹が世界中に行き渡り最高級布地として高い評価を受けるなどとは想像もしなかったことでしょう。
しかし、あの絹の発見が壮大な浪漫話などではなく、人間のちょっとしたドジから生じたとは、実に人間的で愉快な話です。
憧れに近い感情も受け継がれてきた。
こうやって発見された絹は、その後、世界中へ急速に広まってゆきます。そしてどの国でもいつの時代でも、大変に貴重なものとして扱われてきました。絹がお金の換わりに使われたほどです。それだけに、時の権力者たちがほとんど独占してしまい、後世まで絹は高嶺の花というイメージが定着してしまいます。
日本への養蚕が伝わったのは西方諸国よりも早く、弥生前期(紀元前二世紀)といわれます。養蚕の黄金時代は大化の改新の頃から十世紀にかけてでした。しかし、ここでも、桑を植え、蚕を育てたのは庶民でしたが、一片の私有も許されず上納を強いられてきたようです。
その後も営々と絹は歴史と共に歩み続けてきました。織り技法の発達により、絹の特性はさらに磨きがかけられ、そのイメージは輪をかけて絢爛たるものとなっていったのです。
私たちが、今でも“絹”に対して憧れに近い感情を持つのも、こんな歴史的な背景があるからではないでしょうか。

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