藍・LOVE・STORY(2)

藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情
その2・江戸の藍染市

ここ行田・羽生を中心とする埼玉県北部地域は、江戸時代に綿の一大産地でした。そして、行田から4km程行った利根川流域では、藍が盛んに栽培されていました。
この綿と藍が結びついて始まったのが武州藍染の起こりだと言われています。
ちなみに、田山花袋の「田舎教師」という小説の一節に「四里の道は遠かった。途中に青縞の市の立つ羽生の町があった。」というくだりがあるのですが、武州藍の市のことなんです。
江戸時代から明治にかけて、羽生は8の日、行田は6の日、騎西(きさい)は7の日などと決められ、藍染織物の市が立っていました。
で、この藍染の織物ですが、農家が糸を買って藍染屋(紺屋:こうや)に染めてもらい、これを農閑期や夜なべ仕事で織った訳です。そして織り上がると、青縞の市に出す。
これを買う商人がいまして(これを「縞買い」という)、買った青縞で足袋をつくった。これが、いわゆる行田足袋の発祥ですよ。

藍・LOVE・STORY(1)

藍染の里・武州に聞く、江戸の藍染事情
その1・藍染のはじまり

稲荷山古墳にほど近い埼玉県行田市持田に、武州本藍染めの技術と伝統を守り続ける(株)熊井の本社がある。ここ行田市は、隣の羽生市と並んで、江戸時代から明治末期まで隆盛を誇った武州本藍染めの本拠地ともいうべき土地柄だ。
(株)熊井の熊井信人社長は、婦人服・子供の縫製業を営んできたが、ひょんなことから藍染を手がけることになる。今では、藍なしでは夜も日も明けない毎日である。
これは、藍にこだわり、藍を愛す幸せな一人の男の物語だ。
熊井さん・談
実は、藍染というのは、いつ・誰が・どこで発見したのかよく分かっていないのです。今から、三千年前という説があるにはあるのですが…。
誰かがたまたま、植物藍を土の中に入れていた。そこに雨が降って、雨水がたまった。そしたら、これが発行した。で、その液の中に布を入れてみたら、キレイな藍色に染まった。どうも、これが藍染の起こりらしいんですね。
で、場所的には、インドネシアとかインドあたりが、植物藍のルーツらしい。これがタイやカンボジアに伝わり、さらに中国南部の広東や福建に入った。そして、台湾を経由して奄美大島に渡来し、九州から日本に上陸して、江戸時代の始めに普及したといわれています。
一方、江戸時代に、綿の栽培が始まっているんですね。綿は、当初は高級品だった。それが普及するにつれて、庶民のものになった訳です。
で、この植物藍と綿がドッキングして、日本の藍染になった、綿が一番、藍になじみがいいというか、染まりいいんですね。

行灯袴・上下組 野袴・生成と縹

「行灯」と呼ばれる様式を踏まえた袴上下。こんな時代だからこそ装ってみたい一着。
“袴”へのご関心が高いようです。
野袴や、作務衣と袴のアンサンブルがあるのなら、きちんとした袴の様式も揃えて欲しいとの声が湧出。このご期待に応えて「袴上下組」の登場です。
本袴と申しますか、いわゆる様式を踏まえた袴の上下。俗に「行灯袴」と呼ばれる形で仕立てました。
写真ではちょっと分かりにくいかも知れませんが、紗とも絽ともつかぬ独特の透明感がいかにも涼しげ。和装業界でも多くは見られない、春夏用の袴上下組です。
にじみ出る風格や日本人らしさが何とも新鮮。こんな時代だからこそ、装ってみたい一着です。
こちらは、藍染の彩り開発(藍墨)過程で蘇った「野袴」の様式。
一点は藍染好きにはたまらない「縹(はなだ)」、そしてもう一つは思い切って、綿素材の「生成(きなり)」。
何気なくご紹介していますが、いずれも結構インパクトの強い作品として仕上がっています。
本格的な「袴」と「作務衣」の中間に位置するようなこの様式は、なかなかに個性的。見る人に強い印象を与えることでしょう。

正藍染高機能 作務袴(しょうあいぞめこうきのう さむばかま)

作務を行うお坊様の声にお応えして開発した「作務袴」、お寺様に受け入れられるかどうか心配していましたが、杞憂でした。作務衣と改良衣の中間に位置するような装いが必要な方は、意外と多かった――ということのようです。
ご覧のように、簡素な仕立ての袴はなんとも機能的。目には、彩りも鮮やかな正藍染「水縹」と落ち着いた色感の「縹」の二色。さらに、いずれにも水を弾く撥水加工を施しました。あると重宝する一着です。

馬乗り袴 伽羅茶と銀鼠 行灯袴 伽羅茶と銀鼠

黒によし…茶にもよし…そして紺の改良衣にもさらによし…
改良衣とは、お坊様がお召しになる、作務衣のルーツとも言える衣です。
当会では、お坊様のご意見を採り入れ、改良衣の開発も行っております。そのお声により、この二点の袴も開発いたしました。
襠(まち)と相引を高くして、ひだを深く仕立てた「馬乗り袴」と、襠がなく両足に分かれていない「行灯袴」の二点です。


いずれも、タテ糸に絹、ヨコ糸にウールを使ったシルクウール仕立て。絹の輝きとウールの暖かさが得られ、はきやすさも格別です。
色は、いずれも二色揃え。
「銀鼠」は、墨五彩の“淡”にあたる鼠色で、またの名を“錫色(すずいろ)”とも呼ばれる気高い彩りです。
「伽羅茶」は、インド地方に産する沈香木(じんこうぼく)に因んだ暗い黄褐色の茶で、江戸中期に人気を博した彩りです。


二彩とも改良衣に合わせるにふさわしい気品と格調を持った色合いですが、特に「銀鼠」は、黒、茶、紺系の改良衣のいずれにも見事に調和します。
もちろん、「伽羅茶」の方も、袴の色としては定評のあるところ。お好みに合わせてお選び下さい。

武州正藍染 石塚野袴

「このところ少し軟弱な方向性を感じていただけに、この憲法黒の開発には快哉を叫んだ。まさに剛毅にして端正、やはり作務衣はこうあって欲しい…と考えるのは私だけであろうか」
こんなお便りを目にすると、本当に作務衣づくりをやっていて良かったと思うものです。合わせて世に問うた「野袴」もまた、日本人男性の心の奥にある琴線に触れることができたようで、大変嬉しく思っております。
その「憲法黒」の開発に関わった、織り師石塚久雄さんの創作野袴です。
大ヒットとなった作務衣「卯月」を手がけ、武州はおろか、全国レベルでも創織作家として名を馳せる石塚さんならではの会心作。まさに石塚ワールドの一着ゆえに、作品名もそのまま「石塚野袴」とさせていただきました。

正藍染 藍重ね野袴

「藍墨野袴」が、嵐のような拍手に後押しされて、異例のペースでその輪を広げています。わずか半年という短い期間でここまで会員の皆様に熱い指示を受けた作品は、稀有の一言。
この野袴への熱い関心は、ただ物珍しいだけではなく、日本人男性としての潜在的な願望が強く働いたのではないかと思われます。
そこで、一人でも多くの方に、野袴の着用を体験していただきたいと考え、普及版として開発したのが「藍重ね野袴」です。
ご覧のように、上衣にプリント模様。このプリントされた生地を後から正藍染にて染め上げました。そのままだと派手に流れかねないプリント地が、全体を藍に包まれて、いかにも野袴といった色合いに仕上がっています。

野袴とは何ぞや?袴のまめ知識

前回登場した「憲法黒 藍墨野袴」に、「野袴とは何ぞや?」と思われた方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、袴についての豆知識をお届けいたします。
袴とは?
腰から足までをおおう、ゆったりした衣です。 語源は「穿裳(はきも)」で、古墳時代にはすでにその祖形が見られます。下に、袴の一部をご紹介いたしましょう。


  • 長袴…肩衣(かたぎぬ)と揃いになった、室町から江戸時代にかけての武家の礼服です。
  • 小袴…指貫を短くして裾を絞った袴です。
  • 半袴…こちらも、室町時代から江戸時代に かけての武家の礼服です。
  • 馬乗袴…江戸時代の武士が乗馬に用いた、股が分かれている袴です。男袴とも呼ばれます。
  • 行燈袴…筒型になっている、股のない袴です。女性は全てこの袴を用いるので、 女袴とも呼ばれます。
  • 野袴…足元が絞ってあり、動きやすい袴です。裾が細く、袴のひだを残すことで、袴の格調が漂っています。武士の「火事装束」などにも用いられました。水戸黄門の袴もおそらく野袴でしょう。

その他にも、表袴、大口袴、小口袴、指貫袴、平袴、襞高袴などと様々な形態がありますが、袴のタイプは、股の分かれていない筒状の「行燈袴」と、ズボンのように股が分かれている「馬乗り袴」の二つに大きく分けられます。
動きにくいイメージのある袴ですが、TPOにより様々な種類を使い分けることによって、あらゆる場面に対応することができます。
作務衣より“古装”としての印象度が強い野袴は、まさに着用するだけで存在感が際立つ和服です。

憲法黒 藍墨野袴

藍と墨の交わりが、この装いを、鮮烈なまでに現代に蘇えらせました。
印象深きその姿――もののふの心を持ちて、春にこそ踏青の喜びを知る。

色のイメージが装い自体を定めてしまうことがままあるもの。
憲法黒の再現と藍墨の開発がもしなかったならば、この「野袴」という装いは、現代に蘇ることもなかったかもしれない。
あまりにも鮮烈なこの“はかま姿”には、藍墨の彩り以外は思いも浮かばない。
兵法、剣法に長じた吉岡流からの贈り物。それもまた妙なる縁といえようか…。
きりっと紐を結べば、臍下丹田に活力湧き、野遊び、散策はまさに踏青の喜びを五体に走らせる。うららなる春だからこそ、この端正さは印象的。色も映える。
その昔、武士たちが本袴を脱ぎ捨て、心を開放させたこの野袴に、今は気品と格調を感じ取るのも実に興味深いものである。
作務衣を見慣れた目に、これだけ眩しいのならば、一着、ご用意召されてはいかがなものだろう。
伝統様式をきちんと備えた本格的な野袴の仕立てです。しかし、本袴と異なり、着付けは簡単。ひもを回して、後ろをツメで止め、あとは結ぶだけ。もちろん、一人で着ることができます。
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憲法染作務衣 藍墨と羽織

藍の潔さと黒の剛毅さをあいたずさえて、颯爽とした彩り――櫻花、菜花の彩りの中で、きりりと映える男子の作務衣。よって、婦女子ご免蒙ります――。
いかに技に優れていても、藍染だけでは出せぬ藍の色がある。しかし、間口を広げてみれば可能性が広がってくる。
素材は綿、タテ糸は武州ならではの正藍染。ここに、ヨコ糸として他流の染めを迎えてみたら、こんなすごい藍の彩りが誕生する。
吉岡憲法流がその相手。藍で下染めして、梅の樹皮で染め、鉄媒染を加えた憲法黒。
このヨコ糸と正藍染のタテ糸で交織。巧みな計算で、黒を潜めながら、藍の端麗さを墨絵ぼかしのように引き出す。
これぞ、藍の新しい色合い「藍墨」である。外なる輝きより内なる剛毅さを求めた、男子本懐の彩り。花は櫻木、人は武士――の心境。
もちろん、羽織をご用意しないわけにはまいりません。
言うまでもなく、作務衣・野袴と同じ染めと織りです。作務衣、野袴のいずれにも着用できますが、特に、左の写真のように、足袋に雪駄でまとめれば、その渋さ、格調高さはとても印象的。
はおれば格調高く、脱げば野趣に溢れるという具合に、羽織一枚で、そのイメージの変化を楽しむのも一興。言わずもがなですが、他の作務衣へのご着用もご存分に。
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