正藍染 藍重ね野袴

「藍墨野袴」が、嵐のような拍手に後押しされて、異例のペースでその輪を広げています。わずか半年という短い期間でここまで会員の皆様に熱い指示を受けた作品は、稀有の一言。
この野袴への熱い関心は、ただ物珍しいだけではなく、日本人男性としての潜在的な願望が強く働いたのではないかと思われます。
そこで、一人でも多くの方に、野袴の着用を体験していただきたいと考え、普及版として開発したのが「藍重ね野袴」です。
ご覧のように、上衣にプリント模様。このプリントされた生地を後から正藍染にて染め上げました。そのままだと派手に流れかねないプリント地が、全体を藍に包まれて、いかにも野袴といった色合いに仕上がっています。

野袴とは何ぞや?袴のまめ知識

前回登場した「憲法黒 藍墨野袴」に、「野袴とは何ぞや?」と思われた方も多いのではないでしょうか。そこで今回は、袴についての豆知識をお届けいたします。
袴とは?
腰から足までをおおう、ゆったりした衣です。 語源は「穿裳(はきも)」で、古墳時代にはすでにその祖形が見られます。下に、袴の一部をご紹介いたしましょう。


  • 長袴…肩衣(かたぎぬ)と揃いになった、室町から江戸時代にかけての武家の礼服です。
  • 小袴…指貫を短くして裾を絞った袴です。
  • 半袴…こちらも、室町時代から江戸時代に かけての武家の礼服です。
  • 馬乗袴…江戸時代の武士が乗馬に用いた、股が分かれている袴です。男袴とも呼ばれます。
  • 行燈袴…筒型になっている、股のない袴です。女性は全てこの袴を用いるので、 女袴とも呼ばれます。
  • 野袴…足元が絞ってあり、動きやすい袴です。裾が細く、袴のひだを残すことで、袴の格調が漂っています。武士の「火事装束」などにも用いられました。水戸黄門の袴もおそらく野袴でしょう。

その他にも、表袴、大口袴、小口袴、指貫袴、平袴、襞高袴などと様々な形態がありますが、袴のタイプは、股の分かれていない筒状の「行燈袴」と、ズボンのように股が分かれている「馬乗り袴」の二つに大きく分けられます。
動きにくいイメージのある袴ですが、TPOにより様々な種類を使い分けることによって、あらゆる場面に対応することができます。
作務衣より“古装”としての印象度が強い野袴は、まさに着用するだけで存在感が際立つ和服です。

憲法黒 藍墨野袴

藍と墨の交わりが、この装いを、鮮烈なまでに現代に蘇えらせました。
印象深きその姿――もののふの心を持ちて、春にこそ踏青の喜びを知る。

色のイメージが装い自体を定めてしまうことがままあるもの。
憲法黒の再現と藍墨の開発がもしなかったならば、この「野袴」という装いは、現代に蘇ることもなかったかもしれない。
あまりにも鮮烈なこの“はかま姿”には、藍墨の彩り以外は思いも浮かばない。
兵法、剣法に長じた吉岡流からの贈り物。それもまた妙なる縁といえようか…。
きりっと紐を結べば、臍下丹田に活力湧き、野遊び、散策はまさに踏青の喜びを五体に走らせる。うららなる春だからこそ、この端正さは印象的。色も映える。
その昔、武士たちが本袴を脱ぎ捨て、心を開放させたこの野袴に、今は気品と格調を感じ取るのも実に興味深いものである。
作務衣を見慣れた目に、これだけ眩しいのならば、一着、ご用意召されてはいかがなものだろう。
伝統様式をきちんと備えた本格的な野袴の仕立てです。しかし、本袴と異なり、着付けは簡単。ひもを回して、後ろをツメで止め、あとは結ぶだけ。もちろん、一人で着ることができます。
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憲法染作務衣 藍墨と羽織

藍の潔さと黒の剛毅さをあいたずさえて、颯爽とした彩り――櫻花、菜花の彩りの中で、きりりと映える男子の作務衣。よって、婦女子ご免蒙ります――。
いかに技に優れていても、藍染だけでは出せぬ藍の色がある。しかし、間口を広げてみれば可能性が広がってくる。
素材は綿、タテ糸は武州ならではの正藍染。ここに、ヨコ糸として他流の染めを迎えてみたら、こんなすごい藍の彩りが誕生する。
吉岡憲法流がその相手。藍で下染めして、梅の樹皮で染め、鉄媒染を加えた憲法黒。
このヨコ糸と正藍染のタテ糸で交織。巧みな計算で、黒を潜めながら、藍の端麗さを墨絵ぼかしのように引き出す。
これぞ、藍の新しい色合い「藍墨」である。外なる輝きより内なる剛毅さを求めた、男子本懐の彩り。花は櫻木、人は武士――の心境。
もちろん、羽織をご用意しないわけにはまいりません。
言うまでもなく、作務衣・野袴と同じ染めと織りです。作務衣、野袴のいずれにも着用できますが、特に、左の写真のように、足袋に雪駄でまとめれば、その渋さ、格調高さはとても印象的。
はおれば格調高く、脱げば野趣に溢れるという具合に、羽織一枚で、そのイメージの変化を楽しむのも一興。言わずもがなですが、他の作務衣へのご着用もご存分に。
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藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(4)

作務衣だけではもったいない。野袴も同時に…!
織師、石塚久雄が工場に閉じこもって三週間。いよいよ、藍の新しい彩りが姿を現しました。
「黒を見せては駄目。しかし、全体に黒の味わいが行き渡らなければ駄目。いかに黒を潜ませるかに苦労しましたよ。」
石塚さんはこれだけしか言いません。
完成した色に、全員、しばし無言。正藍染ならではの絣もきちんと生きています。しかし、単なる藍でもありません。それは、まさに「藍墨」という以外にありません。更に渋く、より端麗。さらに一途なまでに剛毅な藍の彩り。
媒染のスペシャリストが参加してくれた事もあって、新しい藍の旅立ちは想像以上の出来栄え。作務衣だけではもったいないとの声もあり、機会があれば…と考えてみた「野袴(のばかま)」にも、この藍墨を採り入れてご紹介することとなりました。
「吉岡流憲法染」
憲法(けんぽう)とは、室町末期、将軍家の兵法師範をつとめた吉岡家の世襲的な名称。兵法と共に小太刀の妙術をもって剣法道場も開き、俗に吉岡流と呼ばれる。
宮本武蔵をして“京に天下の兵法者あり”と言わしめた程の栄華を誇ったが、小説や映画では宮本武蔵の敵役として扱われている。実際は武蔵との対決も“勝負を分たず”と言われている。
兵法、剣法に長けると同時に風流にも通じた名門武家であったとされる。
後に、大阪冬の陣に参戦。豊臣方に組したが、その敗戦を恥じて兵法を捨て、西洞院四条に遷居し、門人李三官から伝えられた黒茶染の法をもって染物業に転じる。
憲法染、吉岡染などと呼ばれ名声を博すが、特に独特の黒染めは、明暦・万治の頃に大流行した。梅の樹皮染・藍染と鉄媒染がこの“憲法黒”の特徴で、いかにも武人好みの色合いとして、姿を消した現在でも評価は高く、復活を望む声も多い。

藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(3)

梅染めの茶と藍が奥深い黒を生み出す。
正藍染については問題なし。問題は憲法黒の再現です。
元々の憲法黒は、梅の樹皮だけで染めていたと言われますが、江戸時代に入ってからは、まず藍で下染めしてから梅で染めるようになったとのこと。今回は、あくまで藍の開発ですから、後者を採ります。
名前は聞いたことがあっても実際に染めるのは初めての秋元さん。クチは北さん、ウデは秋さんの二人三脚で試し染めが続きます。
下の写真のように、
1、正藍染による下染め
2、梅の枝の樹皮から採った染液による染め
3、鉄媒染
という工程を幾度も繰り返し、納得のいく“黒”に染め上げていくのです。
ポイントは、やはり3の鉄媒染。クギや鉄片などで作った媒染液が黒の味わいを決めるため、北さんも力が入ります。1~3の工程の繰り返しを調整しながら約一ヶ月。さすが鉄媒染の第一人者である博士こと北一男さん。みごとな吉岡の黒を再現してくれました。
「それにしてもいい黒だね。単純な黒じゃないもんね。梅染めの茶と藍が交じって実に奥深い黒だよ」と北さん自身が感動する程。さあ、この憲法黒をヨコ糸に使い、正藍染のタテ糸と交わらした時、どんな新しい藍の彩りが出現するのでしょうか。
1、まず正藍染にて下染めを施す。この糸を…

2、梅の樹皮染液で染め、藍に茶色をしのばせてゆく。

3、鉄媒染液に漬け黒に仕上げる。1~3を何回も繰り返す。

◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(4)」に続く…

藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(2)

「吉岡の黒をやるのかい?そりゃいいね」と、頼もしい助っ人がひと肌ぬいでくれました。
「新作は藍色でいきたい…」と切り出した時の二人の表情は見ものでした。二年続けて「卯月」「三し織」という大ヒットを連発した染の秋元、織の石塚という武州きっての職人にとって、“何を今さら…”と怪訝な顔になるのは無理からぬところ。いや、実はかくかくじかじか…新しい藍の可能性を求めたいとの意向を伝えると、やっと納得。それも、黒を採り入れた藍染をお願いしたい――と話が進む頃には身を乗り出してくる程。そして、その黒は…とこちらが言い出す前に「吉岡だな…」とズバリ。さすがに実力派のお二人。分かってくれています。
憲法黒のポイントは鉄媒煎にあり!
こうして、武州正藍染と吉岡流憲法染の結婚話は意を挟む者もなく決定したのですが、ベテラン藍染師の秋元一二さんだけが浮かぬ顔です。
「いやね、吉岡の黒やるんなら媒染がポイントになるわな…ワシには荷が重いよ」とのこと。そこへ石塚さんから間の良い一言。
「博士がいる!博士に助(す)けてもらえばいいじゃないか、ウン」おう、博士か…秋元さんの顔もパッとほころびました。
職人仲間に“博士”と呼ばれる人とは、北一男さん。プロフィールをご覧頂けば、呼び名の由来もよく分かります。
「いやあ、吉岡の黒をやると聞いて、ワクワクしましたよ。こりゃ、俺の出番だなってね。喜んで協力させてもらいますよ」と大ノリの北さん。鉄媒染の第一人者がスタッフに加わり、いよいよ体制は整いました。
北一男さん
昭和9年生まれ。群馬大学工学部入学、地球科学を専攻。卒業後、民間企業の研究部にて酸化鉄(弁柄)、磁性材料(フェライト)の研究に没頭。植物染め、藍染に興味を持ち、武州のコンサルタントとして関与。鉄媒染の第一人者として今回“憲法黒”の再現にスタッフとして参加。新しく更なる藍づくりへの道を開いた最大の功労者である。
◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(3)」に続く…

藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(1)

藍を極めたからこそ出来る、更なる奥深さ――新しき藍への第一歩は、吉岡流憲法染と共に。
はるかな昔より、それぞれの時代の人々に愛されながら“藍”は悠久の旅を続けてきました。そして、代を重ねながら研鑽を怠らなかった染師たちの努力により、藍は、その濃淡は言うに及ばず、さまざまな柄や模様を生み出す技法に至るまで、今や一つの極まりを見せたといっても過言ではないでしょう。
その証としては、これまで私ども<伝統芸術を着る会>が、復元、開発を重ねてきた数多くの藍染作務衣が、藍染の何たるかをお分かり頂ける会員の皆様に快く受け入れて頂いていることでよく分かります。
藍の端麗、四方に輝きを放ち、憲法黒の剛毅、一途に潜む…これ、男子本懐の彩りにて、藍墨と称す。
しかし、これで藍の旅が唐天竺(からてんじく)まで達したとは思いたくありません。藍には、それを極めたところから始まる、更なる奥深さや可能性が秘められていると信じるためです。
藍の更なる求道の旅立ち。
その第一歩として、当会はここにひとつの彩りをご呈示したいと思います。単独の染めとしては頂を見た藍染の次なるステップは、他の染め技法との交わりにより生まれる――との判断から誕生した一彩。
相手として選んだのは、天下の兵法者の手により完成した「吉岡流憲法染」。特に、その黒染めの彩りは剛毅にして端正。もののふの心を現した銘彩です。
この吉岡の黒を再現、武州正藍染と合わせました。まさに墨交の交わりから生じた「藍墨」の出来栄えやいかに。じっくりとご照覧下さい。
◇「藍の潔さ、黒の剛毅。「吉岡流憲法染」(2)」に続く…

正藍竜巻絞り染作務衣 周防灘(すおうなだ)

武州ならではの伝統染め技法「正藍竜巻絞り染」。微妙で計算できない縞柄が楽しめる作務衣です。
注目は布地。織りはオックスフォード織り。聞きなれないかもしれませんが、分かりやすく言えば洋服地の織り方とお考えください。凹凸感のある上品な織り上がり。縮ませるだけ縮ませてありますので、ご家庭でも丸洗いすることができるのも使い勝手がいい一着です。
もう一つの特徴は、総裏付。少々の寒さでも大丈夫。まして、額に快い汗などにじませながらの仕事にはうってつけ。また、肌着やTシャツと合わせても総裏付ですからすべりが良く、着心地の良さは万人の認めるところです。
年末仕事におすすめしていますが、染めは「正藍染」、織りは「オックスフォード織り」、しかも総裏付なのですから、寒い季節のお洒落作務衣としてのレベルも高い一着です。

竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 夕凪

陽射しが布地の透間を駆け抜けてゆく。水浅葱と呼ばれる淡青色が涼しげ。濃き緑の中をそぞろ歩けば、時が止まる気分。艶やかで粋な衣が、一陣の涼風を招く。
素材も染めも「潮騒」と同じですが、原反を藍ガメに浸す回数が四回から五回と少ないので、仕上がりの色が、水浅葱(みずあさぎ)というやや浅い藍色です。着心地は「潮騒」と変わりませんが、見た目には、より涼しく感ぜられます。いずれも藍染を代表するふた色です。
「夕凪」も「潮騒」と同様、竜巻絞り染ですから、全く同じ模様のものは出来ません。
「絽」の持つ透明感、気品が、遺憾なく発揮されるお洒落な綿絽作務衣。これもまた、“作務衣通”と呼ばれる方におすすめの一着です。
素材は、染め上がりと肌触りの爽やかさという面から綿100%。織りは五本絽。そして色は、竜巻絞り染という伝統的な技法を用いた正藍染です。
絞り染から生じる独特の藍模様が特徴。濃淡の二種類をご用意しました。淡い方は、4~5回ほど染めた水浅葱(みずあさぎ)という藍色。そして、もう一方は7~10回にわたり染め上げた藍。いずれも藍染を代表するふた色です。