竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 潮騒

絽に織られた綿の心地よい肌ざわり。海を思わせる深い藍に、波が立つような淡い彩りが騒めく藍染模様――。透き通るような気品の中に、季節が踊る。
原反を七回から十回も藍ガメに入れて染め上げてあります。
藍染を代表する色、しかもすべて一枚ずつ手染の絞り染めですから、一見では似た染め上がりですが、全く同じ模様は二つとありません。着心地は独特の風合いがさらりとしていて、軽い感じです。
他人から見ますと、何ともいえぬ気品を漂わせながら、一方では艶っぽいほどの粋さが感じられます。綿ではありますが、そこはかとなく「絽」独特の高級感が伝わってくる、そんな作務衣です。

五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」3

同じ柄はふたつと無い、これが絞り染の楽しさ。
一反12メートルの綿絽の布地を二人がかりでいっぱいに広げます。それをぐるぐるとロープ状に巻いていきます。その様子は、天に駆け上る竜巻のよう。竜巻染めという技法の呼び名もこの光景からきたものです。
絞り上げられ太い縄のようになった綿絽を藍ガメに入れて染めるわけですが、絞られた部分に染めムラができます。
「そう、意図的にムラを作るんだ。濃く染まる部分と淡く染まる部分が模様になる。まあ、同じように絞るからおおよそ同じような柄になるが、どれをとっても、ひとつと同じものはないんだ。だから、染め上がって布地をほどく時は一反ごとにワクワクするよね」
と秋元さん。こんな素人じみたことを言いながら、どれくらい、どこをどう絞ればどんな染め模様ができるかは全てが頭に入っているのです。長年の経験とカン、これが職人の技というもの。スタッフに喚声をあげさせた正藍竜巻絞り染の出来栄えは、まぎれもなくプロの仕事。みごとな伝統染技の復活といえましょう。
念願だった絽の作務衣の開発に大きな花を添えた正藍竜巻絞り染の技法――手ごたえはズシリと重いものがあります。
1、精錬された綿絽の布地一反(12メートル)をしわを寄せながら縄状にぐるぐる巻いていく。この形状から<竜巻絞り染>といわれる。
2、縄状に巻かれた布地を束ね、何回も藍ガメにつけて染める。巻くことにより染めムラができ、それが独特の模様となる。
3、藍ガメから引き上げた時はきれいな緑色。これが空気に触れることにより藍色に変化してゆく。この空気酸化こそ藍染の命である。
4、この繰り返しが藍の濃淡を決める。淡い水浅葱(みずあさぎ)色で4~5回。濃い藍で10~15回ほど染めを重ねていく。
5、仕上げ染めは、全体をムラなく染めるため先端に針を付けた竹ひごに布をほどいて張り染めていく。この工程が、竜巻絞り染の色合いを工夫する。

五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」 2

広げた綿絽の反物に鮮やかに広がる藍模様!
秋元一二さん。例の発言の主です。武州藍ひとすじに33年、現在63歳のベテランが、この竜巻絞り染の復活に挑むことになりました。
「話には聞いてたが、私だってやったことがないからな。ま、これまでの経験を生かしてやってみるよ」
と見事に肩の力が抜けています。まわりの人の話だと、
「秋さんなら大丈夫さ。考えるより先にぶつかっていくから。そして、何とかモノにしてしまうから…」
とのこと。何とも頼もしい職人さんのようです。
とはいうものの苦労はあったようです。なにせ半世紀ぶりに伝統技法の復活をやろうというのですから。
「午後三時をまわったら仕事はしないよ。藍の色の判別ができなくなるから…ね」
と徹底した職人気質を見せる秋元さんが、夜遅くまで藍ガメと共に在った――と証言する人もいます。そして或る日…。
「出来たよ。こんなもんかな」
と相変わらずの口調で持参した竜巻絞り染の反物。期待と不安が入り混じった視線に見守られながら広げた反物には、鮮やかな藍模様が展がっていました。
藍染職人 秋元一二
「ムラが出るように絞って染める――何でもないことのようだが最初に考えた人は偉いもんだ。やってて、そう実感したね」

五十年ぶりに復活した伝統の技!「竜巻で染める – 竜巻絞り染」 1

「よし、絽で行こう!」
新しい作務衣開発のための企画会議は、全員一致で決定を見ました。絽の作務衣づくりというこのテーマこそ、スタッフのすべてが「いつの日か…」と胸に秘めていたものだったのです。
全員が色めき立ち、準備は着々と進みました。色はやはり藍、それも正藍染がいい。ならば、素材は絹より綿だ。藍の色合いを考えたら五本絽が理想的――という具合に、画期的な絽の作務衣が具体的に形となっていきました。
職人のつぶやきが伝統の技法復活への第一歩に。
いよいよ試作です。この企画を持ち込んだ先は、藍染の里として数々の傑作作務衣を生んでいる武州でした。絽の作務衣と聞いて、それは面白いと快諾。職人魂に火が付いたようです。
しかし…。出来上がった試作品を前に、スタッフ一同浮かぬ顔。何か今ひとつ足りない感じなのです。いつも新しく質の高い作務衣づくりを求める限り、つい欲が深くなってしまったのでしょうか。
そのとき、同席していた職人の口から思わぬ一言がこぼれました。
「タツマキでやってみるか…」
一同エッ?という顔。
説明によると、タツマキとは“竜巻絞り染”という最近では滅多に見られなくなった伝統的な藍染技法ということ。布地を絞って染めるため、色に計算できない濃淡が出て模様になるというのです。
とにかく試し染めをしてみようということになりました。

正藍染 松坂木綿作務衣

“伊勢の衣縫”の浪漫を想い、綿ごこちを楽しむ。
わが国に「綿」という新しい繊維がもたらされたのは、室町時代といわれる。記録の上では、三河の国で最初に綿が栽培されたとなっている。この三河と海を挟んだ伊勢平野でも、相次いで綿づくりが始まった。
一方、五世紀の後半に大陸から紡織の技術を持った集団が渡来。その一部は吉野川をさかのぼり、伊勢に定住。やがて“伊勢の衣縫い(きぬぬい)”と呼ばれ、中央政府から公認されるほどの大きな職能集団に成長していた。
この伊勢の衣縫たちと、栽培が始まった木綿が出会い、さらにこの地の豪商たちの才覚も加わり、松坂木綿の名は高く後世に残っていくのである。
正徳二年(1712年)刊行の百科辞典「和漢三才図会」の木綿の項には「勢州松坂を上とす、河州、接州これに次ぐ」とランク付けされていることからも、この松坂木綿の質的内容は高かったようである。
この伝統を受け継ぎ、松坂の「もめん」は今も健在。最高級の綿織物として高い評価を受けている。
この松坂もめんを使用した作務衣が、この「松坂木綿作務衣」。伊勢の衣縫たちの浪漫を想い、高級木綿の着心地の良さをたっぷり満喫して頂きたい。

武州正藍染羽織

ちょっとこだわって拒み続けてきた、あの“武州”の羽織がいよいよ発表。
作ろうと思えば、いつでも作れました。実際に、“古き佳き作務衣を現代に甦えらせたい”という目的に沿って、記念すべき「武州正藍染作務衣」が産声を上げた時も同時に試作品としてこの羽織も出来上がっていたのです。
それなのに、当会が今まで、この「武州正藍染羽織」を世に出さなかったのには次のような理由があります。
当会では、この「武州正藍染作務衣」を、その後次々と開発しているすべての作品の原点と考えています。この作務衣だけは、古き佳き伝統、形式や様式を可能な限り“そのまま”にとどめておくべきだと強く思っていたのです。
古き佳き素のままの作務衣として、頑なに羽織まで拒み続けてきたというわけです。
会員の皆様から叱責に近いご要望が!
このこだわりに対して、会員の皆様からは“武州の羽織をなぜ作らないのか!”という叱責に近い声がどっと押し寄せました。確かに、他の作務衣に羽織はあるのだから…という皆様のご要望もまた真理。
そこで、この羽織だけは、作務衣と切り離してご要望にお応えしようということに決定いたしました。
つまり、作務衣に対するこだわりを保つ一方で、皆様のお好みにもお応えするということです。
その意味もあって、武州とはもちろんですが、他の作務衣との組み合わせを、当会としては強くおすすめいたします。
素材、染め、織り…すべて「武州正藍染作務衣」と寸分変わりません。

武州正藍染作務衣

作務衣の本流。藍染の里、武州が誇る自信の一着――
古き良き作務衣を現代に甦らせたい――という目的からスタートした当会が、すべての原点として完成させたのが、この「武州正藍染作務衣」です。
その後に発表されたあらゆる作務衣も、全てこの一着を源としているというわけです。その意味で、作務衣の本流と申せましょう。
入門に最適な一着でありながら、極めた人にも愛される不朽の名作。
武州と言えば藍染の里として有名。
この地が自信を持って世に送り出しただけに、その完成度の高さは定評のあるところ。
“蓼藍”の葉を自然発酵させた染液で糸の段階から十数回も繰り返して染め上げられた特選正藍染め、つむぎ風織り木綿100%の肌ざわりの良さ、藍の深さは、最高級とのお声を頂いています。
当会設立当初からの会員の中には、この“正藍染”一本やりという方も多いようです。
「一年おきに購入してすでに五着持ってますが、平等に着て洗っているとそのすべてに時間の経過による色合い、風合いの異なりが出てきてイイ感じです。洗うほどに変化していく正藍染ならではの味わい、これはたまりません。鮒(フナ)にはじまり鮒に戻ると言いますが、やっぱりこれは作務衣の原点だと思いますね…」
とのお便りを頂くと、作り手冥利に尽きます。
洗いを重ねるごとに渋さと愛着が増してくるのも、いかにも作務衣本来の姿と言えましょう。まさに、不滅の一着です。

作務衣のある暮らし 4

一枚の“心の装い” が新しいあなたを創る!
「たまの休みなど、こいつを着てると仕事や世間のわずらわしさから解放され、心が洗い流されていくみたいですネ」と働き盛りの男性。
「女房の好みですべて欧米風の暮らし。せめてもの自己主張として作務衣を着ている」と39歳の会社員。
「パジャマでゴロ寝の主人にプレゼント。人が変わったようになり、子供たちもン?という感じで父親を見る目が変わってきました」と奥さま…。
作務衣が“心の書斎”と呼ばれる理由は…
…こんな話の中から汲みとっていただきたい。これが、作務衣の精神的な価値観の一例というわけ。
いずれにしても、一枚の作務衣が暮らしの中に入ってくるだけで、いろいろな変化が生まれることは確かであろう。
一度袖を通したら、もう手放せなくなることは必定。
長い歴史が育んだこの“心の装い”で、新しい自分を創ってみるのもよい試みではないだろうか。
そんなあなたのために、「伝統芸術を着る会」では、これからの季節にふさわしい作務衣の数々をご紹介する。

作務衣のある暮らし 3

手作りならではの色合い、風合いを着る!
作務衣の基本は“藍”である。
愛といえば、外国では“ジャパンブルー”とよばれ、まさに日本の色といわれるほど。
本格的な作務衣は“藍染”である。“蓼藍(たであい)”の葉を自然発酵させた染液で、糸の段階から数十回も繰り返して染め上げられる色合いは、まさに自然の生命と人間の技が混然と溶けあったわが国の誇る伝統芸術である。
吟味し尽くされた綿をつむいで作られた綿糸。この“かせ糸”を藍に染める。丹精込めた染めが終わると、清水での入念な洗い。そして乾燥。この染め上げた糸を、手織りに近いゆったりとした工程の織り機でつむぎ風に仕上げていく。
手間ひまかけた手づくり作務衣は、素朴な野趣と爽やかな清涼感で着る人の肌にさり気なくなじんでいく。藍を愛し、糸を慈しんだ職人たちの息づかいが聞こえるような作務衣。これに袖を通すだけで、何ともいえぬ世界が広がってくるだろう。
洗えば洗うほどに藍染めの渋さが深まってくる。着れば着るほど肌になじんでくる――同じ着るなら、こんなホンモノ、本格作務衣にするべきである。
→「作務衣のある暮らし 4」へ続く…

作務衣のある暮らし 2

形式や様式にこだわる本格派志向が主流!
長い歴史の中で着継がれてきたこの作務衣、現在では仏門以外でも広く着られるようになり、素材、形、色もさまざまである。
つまり、時代と共にこの伝統的な作務衣も少しずつその様子を変えてくるというわけである。
しかし、その伝統性や作務衣の持つ独特の精神性に価値観を認めるなら、やはり本格的なものを着て楽しみたいもの。
形式や様式にこだわるのは、伝統的なものを楽しむためには欠かせない要素。
たとえば、藍染作務衣に普通のスニーカーというよりも、藍染には下駄が似合う。衿の白さがまぶしく藍に映える、生成りの肌着をつけたい。お出掛けには作務衣用の羽織をまとうだけでぐんと雰囲気が出る――そんなものである。
動きやすく、ゆったりと…ウエアとしての機能性も抜群!
作務衣のウェアとしての特色をいう時、とかくその精神性の方に目がいきがちだが、やはり機能性を忘れることはできない。
どんな激しい動作にも無理なくゆったりと対応でき動きやすい。つまり、着ていてラクということ。
内ヒモと外ヒモで形くずれを防ぎ、小物を入れるポケットも上下にそれぞれ付いている。すそもゆったりと、全体に少しダブつき気味に着ると、作務衣独特のシルエットが生まれる。丈夫さについては説明の必要もあるまい。
基本的には綿100パーセント。ごわっとした、素朴な肌ざわりが実にここちよい。素材的には、絹素材の高級品も開発されているので用途に応じて使いわけることもできる。
→「作務衣のある暮らし 3」に続く…