花火とじんべえ

いなせが駆ける江戸。将軍も”じんべえ”だった?
「いよっ、粋だね、いなせだねえ!」。この「いなせ」は「鯔背」と書き、江戸時代に威勢のいい寿司職人たちに向かって与えられた呼びかけだったとか。
そんな話を聞くと、江戸の庶民たちの生き生きとした表情が脳裏を駆け抜けるような気がします。
その江戸の人々が、夏になると愛したのが”じんべえ姿”。この着姿が粋になるかならないかで、女性へのもてかたも違ったというのですから大変。
ちょっと斜に構え、団扇片手に花火を愛でる…そんな男振りが、夏の風物詩にもなりました。
ちなみに日本で初めて花火を見たのは、1613年、駿府城の徳川家康で、英国人が謙譲した中国製の花火だと云われています。
『徳川実記』によると、三大将軍家光は花火に興味を持ち、江戸城内をはじめ、大川や品川まで出掛けて花火を見物し、花火創りを大いに奨励したと伝えられています。
もしかしたら将軍も、じんべえ姿に団扇だったかも…そんな想像も夏ならではの、愉しいものです。

藍紗作務衣(あいしゃさむえ)

透明感から生まれる涼感。
目で感じる涼しさがあります。その代表とも言うべきが、“紗(しゃ)”の装い。炎天下を涼しげに歩くお坊様や女性の姿は、身にまとった“紗”のおかげで強く印象に残っているものです。
あの感覚を作務衣に生かしたい――というわけで完成したのが「藍紗作務衣」です。
この透明感は、“絽”と比べても圧倒的。肌着の白さが透かされて、清烈なまでの涼感が目に飛び込んできます。
この夏の主役――あなたの印象は見る人の心に強く残る事でしょう。

武州正藍染 石塚野袴

「このところ少し軟弱な方向性を感じていただけに、この憲法黒の開発には快哉を叫んだ。まさに剛毅にして端正、やはり作務衣はこうあって欲しい…と考えるのは私だけであろうか」
こんなお便りを目にすると、本当に作務衣づくりをやっていて良かったと思うものです。合わせて世に問うた「野袴」もまた、日本人男性の心の奥にある琴線に触れることができたようで、大変嬉しく思っております。
その「憲法黒」の開発に関わった、織り師石塚久雄さんの創作野袴です。
大ヒットとなった作務衣「卯月」を手がけ、武州はおろか、全国レベルでも創織作家として名を馳せる石塚さんならではの会心作。まさに石塚ワールドの一着ゆえに、作品名もそのまま「石塚野袴」とさせていただきました。

正藍染 藍重ね野袴

「藍墨野袴」が、嵐のような拍手に後押しされて、異例のペースでその輪を広げています。わずか半年という短い期間でここまで会員の皆様に熱い指示を受けた作品は、稀有の一言。
この野袴への熱い関心は、ただ物珍しいだけではなく、日本人男性としての潜在的な願望が強く働いたのではないかと思われます。
そこで、一人でも多くの方に、野袴の着用を体験していただきたいと考え、普及版として開発したのが「藍重ね野袴」です。
ご覧のように、上衣にプリント模様。このプリントされた生地を後から正藍染にて染め上げました。そのままだと派手に流れかねないプリント地が、全体を藍に包まれて、いかにも野袴といった色合いに仕上がっています。

憲法黒 藍墨野袴

藍と墨の交わりが、この装いを、鮮烈なまでに現代に蘇えらせました。
印象深きその姿――もののふの心を持ちて、春にこそ踏青の喜びを知る。

色のイメージが装い自体を定めてしまうことがままあるもの。
憲法黒の再現と藍墨の開発がもしなかったならば、この「野袴」という装いは、現代に蘇ることもなかったかもしれない。
あまりにも鮮烈なこの“はかま姿”には、藍墨の彩り以外は思いも浮かばない。
兵法、剣法に長じた吉岡流からの贈り物。それもまた妙なる縁といえようか…。
きりっと紐を結べば、臍下丹田に活力湧き、野遊び、散策はまさに踏青の喜びを五体に走らせる。うららなる春だからこそ、この端正さは印象的。色も映える。
その昔、武士たちが本袴を脱ぎ捨て、心を開放させたこの野袴に、今は気品と格調を感じ取るのも実に興味深いものである。
作務衣を見慣れた目に、これだけ眩しいのならば、一着、ご用意召されてはいかがなものだろう。
伝統様式をきちんと備えた本格的な野袴の仕立てです。しかし、本袴と異なり、着付けは簡単。ひもを回して、後ろをツメで止め、あとは結ぶだけ。もちろん、一人で着ることができます。
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憲法染作務衣 藍墨と羽織

藍の潔さと黒の剛毅さをあいたずさえて、颯爽とした彩り――櫻花、菜花の彩りの中で、きりりと映える男子の作務衣。よって、婦女子ご免蒙ります――。
いかに技に優れていても、藍染だけでは出せぬ藍の色がある。しかし、間口を広げてみれば可能性が広がってくる。
素材は綿、タテ糸は武州ならではの正藍染。ここに、ヨコ糸として他流の染めを迎えてみたら、こんなすごい藍の彩りが誕生する。
吉岡憲法流がその相手。藍で下染めして、梅の樹皮で染め、鉄媒染を加えた憲法黒。
このヨコ糸と正藍染のタテ糸で交織。巧みな計算で、黒を潜めながら、藍の端麗さを墨絵ぼかしのように引き出す。
これぞ、藍の新しい色合い「藍墨」である。外なる輝きより内なる剛毅さを求めた、男子本懐の彩り。花は櫻木、人は武士――の心境。
もちろん、羽織をご用意しないわけにはまいりません。
言うまでもなく、作務衣・野袴と同じ染めと織りです。作務衣、野袴のいずれにも着用できますが、特に、左の写真のように、足袋に雪駄でまとめれば、その渋さ、格調高さはとても印象的。
はおれば格調高く、脱げば野趣に溢れるという具合に、羽織一枚で、そのイメージの変化を楽しむのも一興。言わずもがなですが、他の作務衣へのご着用もご存分に。
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正藍竜巻絞り染作務衣 周防灘(すおうなだ)

武州ならではの伝統染め技法「正藍竜巻絞り染」。微妙で計算できない縞柄が楽しめる作務衣です。
注目は布地。織りはオックスフォード織り。聞きなれないかもしれませんが、分かりやすく言えば洋服地の織り方とお考えください。凹凸感のある上品な織り上がり。縮ませるだけ縮ませてありますので、ご家庭でも丸洗いすることができるのも使い勝手がいい一着です。
もう一つの特徴は、総裏付。少々の寒さでも大丈夫。まして、額に快い汗などにじませながらの仕事にはうってつけ。また、肌着やTシャツと合わせても総裏付ですからすべりが良く、着心地の良さは万人の認めるところです。
年末仕事におすすめしていますが、染めは「正藍染」、織りは「オックスフォード織り」、しかも総裏付なのですから、寒い季節のお洒落作務衣としてのレベルも高い一着です。

竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 夕凪

陽射しが布地の透間を駆け抜けてゆく。水浅葱と呼ばれる淡青色が涼しげ。濃き緑の中をそぞろ歩けば、時が止まる気分。艶やかで粋な衣が、一陣の涼風を招く。
素材も染めも「潮騒」と同じですが、原反を藍ガメに浸す回数が四回から五回と少ないので、仕上がりの色が、水浅葱(みずあさぎ)というやや浅い藍色です。着心地は「潮騒」と変わりませんが、見た目には、より涼しく感ぜられます。いずれも藍染を代表するふた色です。
「夕凪」も「潮騒」と同様、竜巻絞り染ですから、全く同じ模様のものは出来ません。
「絽」の持つ透明感、気品が、遺憾なく発揮されるお洒落な綿絽作務衣。これもまた、“作務衣通”と呼ばれる方におすすめの一着です。
素材は、染め上がりと肌触りの爽やかさという面から綿100%。織りは五本絽。そして色は、竜巻絞り染という伝統的な技法を用いた正藍染です。
絞り染から生じる独特の藍模様が特徴。濃淡の二種類をご用意しました。淡い方は、4~5回ほど染めた水浅葱(みずあさぎ)という藍色。そして、もう一方は7~10回にわたり染め上げた藍。いずれも藍染を代表するふた色です。

竜巻絞り染 正藍染綿絽作務衣 潮騒

絽に織られた綿の心地よい肌ざわり。海を思わせる深い藍に、波が立つような淡い彩りが騒めく藍染模様――。透き通るような気品の中に、季節が踊る。
原反を七回から十回も藍ガメに入れて染め上げてあります。
藍染を代表する色、しかもすべて一枚ずつ手染の絞り染めですから、一見では似た染め上がりですが、全く同じ模様は二つとありません。着心地は独特の風合いがさらりとしていて、軽い感じです。
他人から見ますと、何ともいえぬ気品を漂わせながら、一方では艶っぽいほどの粋さが感じられます。綿ではありますが、そこはかとなく「絽」独特の高級感が伝わってくる、そんな作務衣です。

正藍染 松坂木綿作務衣

“伊勢の衣縫”の浪漫を想い、綿ごこちを楽しむ。
わが国に「綿」という新しい繊維がもたらされたのは、室町時代といわれる。記録の上では、三河の国で最初に綿が栽培されたとなっている。この三河と海を挟んだ伊勢平野でも、相次いで綿づくりが始まった。
一方、五世紀の後半に大陸から紡織の技術を持った集団が渡来。その一部は吉野川をさかのぼり、伊勢に定住。やがて“伊勢の衣縫い(きぬぬい)”と呼ばれ、中央政府から公認されるほどの大きな職能集団に成長していた。
この伊勢の衣縫たちと、栽培が始まった木綿が出会い、さらにこの地の豪商たちの才覚も加わり、松坂木綿の名は高く後世に残っていくのである。
正徳二年(1712年)刊行の百科辞典「和漢三才図会」の木綿の項には「勢州松坂を上とす、河州、接州これに次ぐ」とランク付けされていることからも、この松坂木綿の質的内容は高かったようである。
この伝統を受け継ぎ、松坂の「もめん」は今も健在。最高級の綿織物として高い評価を受けている。
この松坂もめんを使用した作務衣が、この「松坂木綿作務衣」。伊勢の衣縫たちの浪漫を想い、高級木綿の着心地の良さをたっぷり満喫して頂きたい。